事例9:企業不正に強い動機は必要ない
「企業不正を犯すからには、強い動機があるに違いない」と思っている方が多いのではないでしょうか。実は、ほとんどの企業不正には、やむにやまれぬ事情というような強い動機はありません。本稿ではこのことを「ホンダ元社員の背任事件」(2025年1月26日付日経新聞記事)をもとに考察してみます。
記事によると、事件の概要・背景は以下のとおりです。
■概要
1.ホンダで経理を担当していた30代の社員は軽い気持ちで動画配信の「投げ銭」に法人クレジットカードを使ってしまった。
2.会社にとがめられなかったことがから味を占め、繰り返すうちに罪悪感も薄れていった。
3.私的利用は4年弱で3262回に及び、会社に4300万円余りの損害を与えて上司も降格処分を受けた。
■背景・手口
1.本人は新卒でホンダに入社。会社が法人契約しているクレジットカードの私的利用を始めたのは、ほんの「出来心」だったという。
2.当時の給料は額面20万円強。生活に苦労はなかったが、「ここにあるカードが使えたらいいなあと思ってやってみたら使えた」。後に法廷で淡々と説明した。
3.判決によると、初めて不正利用したのは2019年4月。初日は2回の決済で3000円程度だった。会社から指摘されれば自己負担で返そうと思っていたが「何も聞かれないのでなんとも思わなくなっていった」。毎日のように利用し、1回の決済額も数万円に膨らんだ。数十万円単位の高額利用も目立つようになった。
4.使途の多くは「投げ銭」だった。ネット上でお気に入りの動画配信者「ライバー」にお金やギフトを贈る投げ銭は新型コロナウイルス禍を経て急速に普及した。元社員は配信動画の視聴が趣味で、投げ銭だけでなく「推し」の写真なども購入していたという。
5.会社では購買部門で物品購入などの経理事務を担当していた。他の社員のカードの管理を任され、部署異動や退職によって不要になった法人カードの返却窓口にもなっていた。20年2月ごろになると元社員は、返却された同僚の法人カードにも手を伸ばすようになる。
6.カードの利用限度額に達することを避けながら、計3枚のカードを使って1日に10回近く決済することもあった。使い道は旅行やジムの費用、船舶免許の取得などに広がった。23年の内に気付いた会社側は社内調査して刑事告訴。警視庁は24年2月、背任容疑で元社員を逮捕した。
7.東京地裁も24年9月の判決で「単純な手口で、会社内部の管理体制が十分に機能しなかったことが発覚の遅れや被害の拡大につながった面はある」と指摘したが「犯行を正当化する理由にはならない」とクギを刺した。3年9カ月にわたって会社に4332万6733円の損害を与えた悪質性を重くみて、元社員に懲役2年6月の実刑を言い渡した。元社員は即日控訴した。
8.事件を起こした後、元社員は自己破産を申し立てた。保釈保証金の350万円は母親がすべて用意し、足りない分は祖母の貯金を充てた。保釈後に退職金226万円など計約570万円を会社に弁済したが、与えた損害の回復には到底及ばない。私的利用を見抜けなかった上司は監督責任を問われて降格処分を受け、会社の信用も傷付いた。
9.「かわいがってくれたホンダの方々に本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです」。法廷で反省の弁を述べた元社員。保釈後に約40万円を競艇に使ったことが発覚し、弁護士からも叱られた。
さて、この事案について、不正が起きた本質的な原因は何でしょうか?私は不正の本質的な原因を「不正の正体」と呼んでいます。不正の正体(本質的な原因)を一言で表すと次のとおりです。
不正の正体(本質的な原因)
=「不正を行うのに圧倒的に優位な状況を目の前にすると、その誘惑に負けて良心の呵責を乗り越えてしまう」という人間の持つ本質的な弱さ
これは経営者から従業員まで、すべての組織構成員に当てはまります。
そして、「不正を行うのに圧倒的に優位な状況」のことを不正トラップ(罠)と言い、次の3つの状況を指します。不正防止とは不正トラップに陥らない仕組みをつくることです。
①誰にも見られず、誰にも知られずに不正を実行できる機会がある(社内の人の動き、金の流れを熟知している)
②経営者や上司から全面的な信頼を得ているという自信から、疑われるリスクが極めて低いと考えている。また、任された業務は信頼の丸投げ状態にあり、誰からのチェックも受けず、一人で如何様にも処理できる。このことが、不正の発覚を困難にする改ざんや偽造などの隠蔽工作を容易にしている(不正の発覚を困難にする信頼の丸投げ状態)
③万が一不正が発覚しても、「会社は外部に知られるのを恐れて大ごとにしない」とか「自分の会社への貢献度を考えれば大目に見てくれる」などと考えて良心の呵責を乗り越える(自分の行為を正当化する)
上記の不正トラップの3つの状況が揃うと、不正が起こる危険性は極めて高くなります。そして、この不正トラップには、強い「動機」は必要ないのです。わが国の横領・着服事件のほとんどは強い動機が見当たりません。自由にできるお金があったから、使ってしまった。いつまでたっても見つからないので、さらに使ってしまい、お金を使う楽しさにおぼれ、さらに不正を繰り返すといった不正のスパイラルに陥ってしまうのです。そして不正金額が膨大な規模になってやっと発覚する、というパターンが繰り返されているのです。
なお、今回の事件についても、記事だけでは詳細は分かりませんが、元社員は「不正トラップ(罠):3つの状況」に陥っていた可能性が極めて高いと思われます。しかも、どう見ても、不正を犯すに当たっての「やむにやまれぬ事情」や「強い動機」があるとは思えません。このように、強い動機がなくとも誰もが不正に手を染めてしまう危険性があるのです。だからこそ、不正に及ぼうと考えても実行できない体制を築くことが重要なのです。
改めて、わが国の企業不正(特に横領・着服)の際立った特徴を説明しておきます。それは、以下の3つです。
①積極的な強い動機がない。だからこそ、被害額が無制限に拡大する。
⇒やむにやまれぬ事情でお金に困っているならば、必要額以上に拡大しない。そして、発覚前に何とか返済しようとする。
⇒自由にできるお金が目の前にあったから着服してしまった。そして投資やギャンブル、女にはまってさらに着服する、という不正のスパイラルに陥る。
②企業不正は、学歴・社会経験・人格などに関係なく、誰でも不正実行者になり得る。
⇒大学教授による研究費不正は後を絶たない。
例)元東大教授による研究費不正(控訴審判決:懲役3年、執行猶予5年)
⇒上場・非上場に関係なく、たとえ超優良企業であっても、従業員による企業不正は起こる。
例)三菱UFJ貸金庫事件(元行員が現金や金塊計約17億円相当を貸金庫から盗んだとされる)
③不正実行者の特徴は、「まじめ」、「小心者」、「社内の信頼が厚い」など、外形的には不正を行うとは思えない者が圧倒的に多い。
⇒だからこそ、発覚した時に皆が「まさかあいつが・・・・・」と絶句する。
⇒・「まじめ」だから疑われない。
・「小心者」だから発覚しないように細心の注意を払う。
・「社内の信頼が厚い」から如何様にも隠ぺい工作(証拠の偽造、改ざん)ができる。
あなたの会社は不正トラップを放置していませんか?経営者は従業員の倫理観・道徳心に頼って信頼を丸投げしていませんか ?
(なお、本稿に記載した内容は、あくまでも私見であり、一般的な見解と異なる可能性があることをご了承ください)